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旧陸軍被服支廠(広島市南区出汐)

2006/01/29 hiroshimanikki

(皆実高校の近くにある旧陸軍被服支廠をレポートしときます。)

寒いけど体を動かすため、朝の散歩です。

平和橋から南に向かうと、旧国鉄宇品線跡の細長い空き地が延びています。
その空き地伝いに段原の日の出町を南に歩きます。

段原日之出町を南に向かう


寒いので草に霜が降りとります。

蓬についた霜


町の真ん中にこんな空き地があるってものいいもんです。

旧宇品線を南に


民家の庭に梅が咲いていました。

そばに咲いた梅


道路わきの公園にはこんなモニュメントが。
蒸気機関車のものでしょうか、でかいです。

小さな公園の宇品線記念


空き地はここで終わり。

線路が空き地になっている最後のところ


段原の広い道とほぼ平行して伸びる南への道。広大病院前を通って2号線に向かっています。

まっすぐ行くと大学病院


広大病院前のレンガの建物

広大病院前のレンガの建物


病院横の道、2号線交差点へ

広大病院横を2号線に向かう


2号線を超えてさらに南に

2号線を超えて


高校の東側にあるアパートの脇を通ってもう少し南に。

アパート横を南に


右に入る狭い脇道があるので、そこを曲がってすすむと

皆実高校の南側を曲がる


朝日を浴びる被服廠の建物がありました。

被服廠址の南棟


大正2年の竣工で軍服や軍靴を製造する工場として活躍。被爆建物であり爆風で曲がった鉄扉がそのまま残っている。一見レンガ造りに見えるが、実際は国内でも最古級の鉄筋コンクリート造。(広島市南区のHPより)

屋根の上のほう


建物の下には、草木が植わっています

草花の鉢、空き地活用中


外側のレンガは化粧というだけでなく強度部材としても設計されたようです。
窓枠を構成するレンガは上部は斜めにカットされていて、コンクリートがクサビになっています。ハイブリッドな設計になっている。

鉄扉、重々しい


西側の扉は、原爆の爆風で曲がってしまっていますが、南側の扉はその影響から逃れています。

南側はあまり反っていません


かつて広大の寮だったこともあるそうですが、今は使われていない。
鉄の扉が閉まっております。

全体を見るとリズム感あり


枇杷の木が植わっていまして花も咲いていました。

びわの花


はとが止まっています。中に巣を作っているかも

はとの棲家


錆びて穴の開いてしまった扉もあります

朽ちた鉄扉


南側の通りです。

南側を振り返る


藤?がレンガの壁に張り付いています。

かずらが取り付く側壁


レンギョウの花も咲いています

これはレンギョウ?


南西の角。ここから朝は日の当たらない、西側の道路を北上することになります。

南西の角っこ


道路のすぐ反対側には家が並んでいます。その向こうは、2号線から南に伸びる広い道路です。

西側の棟


こちらも周辺には木が植わっています。これは南天

南天


道路を北に向かって歩きます。
原爆投下後、ここにも大勢の火傷や怪我をした人が運び込まれたとか。
大勢の人々が原爆と戦争の犠牲になってここで亡くなったのです。

合掌

北に向かって歩くと


見上げると屋根の樋にシュロが生えています。ここまで大きくなるにはずいぶんと年数がかかったことでしょう。どっからきたの?

屋根にシュロが生えている


ここまでで建物は終わり。

ここで棟は終わり


扉があって建物のそばにはいけませんが、前には広場があります

下には少し広場があります


もう少し、レンガの壁が続きます。

レンガの壁がもう少し続く


振り返るとこんな感じ。結構大きな遺構です。
被爆建物として、しっかり保存してほしいと思います。

振り返るとこんな感じ


2号線に向かって歩きます。 ここが高校への入り口。普段の朝は大勢の高校生が自転車で流れ込んでいきます。

皆実高校&広島工業高校の入り口だ


2号線をわたって振り返るとこんな感じ。
平和だ。

国道2号線をわたって、出汐交差点を振り返るの図


<データ>
旧陸軍被服支廠 MAP
いろいろな情報がWebにはあります。
資料1 :建物についてはえらい網羅的なアーキテクチャーマップ(広島)より
資料2 :結構充実している広島市南区ガイドより
資料3レンガと町づくりより
資料4広島平和公園資料館バーチャルミュージアムより

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